英語はネイティブに教わらないと上手くならないのか?

そろそろネイティブ信仰を見直そう

フィリンピンの語学学校の教師はフィリピン人が中心です。

しかし、中にはアメリカ人やイギリス人などのネイティブティーチャーを1人もしくは2人といった少人数を通年採用している学校もあります。
ネイティブティーチャーのみで構成されている学校も数校あるぐらいです。

ここで、なぜネイティブティーチャーを売りにするかというと…

日本人は英語を話すことにコンプレックスがあり、その原因の一つが上手く発音できないからです。(英語を外国語として習う他国も同じかもしれません)

そのため「発音はネイティブから教わるのが一番」と考える人が多いからでしょう。この発想は間違いではないと思います。

その理由として、現在の私たちはとりわけアメリカの映画やドラマを簡単に見ることができます。

そのためなのか、ネイティブが英語を話す場面が頭に記憶されており、しっかりとそのイメージが浮かびます。

そうすると、「英語はネイティブのような発音で話すことが正しい」、という考えに無意識になってしまうのです。

日本語を身につけたい人が、日本語ネイティブのようになるために日本人に習うのが当然じゃないか!と思うかもしれません。これはその通りです。

しかし、現在日本語を母国語としているのは世界の中で日本だけであり、公用語として話されているのは他にパラオの極一部地域しかありません。

数で言えば、日本語を話しているのは世界の76億人中1億人ちょっとなのです。

一方英語は、母国語として話す人口よりも第二言語や外国語として話す人口の方が圧倒的に多い言語です。

その数は英語の母語話者4億人に対して、第二言語・外国語話者21億人です。

参考・参照元:文部科学省HP世界の母語人口英語を公用語・準公用語等とする国

このことは、英語を「ネイティブのような発音」で話していない人口の方が多いことを示しています。

単純にそれぞれの国のなまりのある英語で成り立っているとも言えます。

近隣のアジア諸国を見るだけでもその国の母語の他に英語を話せる人が大勢います。

そしてその国独特の、特徴のある発音の英語が飛び交っていて、ホテルでも飲食店でもその発音で十分にコミュニケーションができているのです。

私も最初は、訪れる国によって異なる英語を聞き取ることに苦労し戸惑いました。

しかし、いろんな国に滞在していてわかったことは、英語とは「グローバルイングリッシュ」という考え方が世界に認識されているように、母国語の影響を受けることは当然であり、ネイティブのような発音で話すことはまったく重要ではない、というものだと知りました。

大切なことは発音ではなく話す中身である、ということです。

そのため、英語を身につける上で「ネイティブのような発音」になることはないのです。

発音の仕方はフォニックス等で学ぶべきですが、「発音がネイティブとは多少違うね」ぐらいをまったく気にすることはないのです。

それよりも、ボキャブラリーを増やし自分の意見や考えを英語でアウトプットできる力を養う方が得策です。

以上の理由から、特にフィリピン留学に関して言えば、ネイティブティーチャーに教わることにこだわらなくても良いでしょう。

フィリピンの先生たちの発音も十分に綺麗な人が多いです。それに、先生ではなくてもコールセンターで働くフィリピン人たちの発音レベルであっても、英語を母国語とする国の企業のコールセンター業務を請け負っているのですから。

「できる」からといって「教える力がある」とは限らない

多くの人がこの点を誤解しています。

あることを「できる」人が、そのことについて「教えることができる」と思っています。

これは大間違いです。

「できる」ことと「教える」ことはまったく別の能力です。

このことを誤解しているからゆえ、英語学習に限らず仕事や教育の現場でもいろんなことが上手く機能していないことが多々見受けられます。

スポーツで考えるとしっくりくる人も多いと思います。

たとえば、MLBで活躍しているプロ野球選手の大谷翔平選手。彼の高い能力は誰もが認めています。ピッチャーも「できる」しバッターも「できる」人です。

もしも「できる」人が他者に上手に「教える」ことができるとすれば、大谷翔平選手がチームメイト全員に教えれば、多くが二刀流選手になることができますし、そうではなくとも必ずそのチームは強くなるはずです。

そうすると、現役選手に比べて体が動かない監督は何のために存在しているのでしょうか。

2018、2020に全米オープンで優勝した大坂なおみ選手やオリンピック二連覇を果たした羽生結弦選手もしかりです。

結果を残している「できる」彼らが「教える」ことをすれば全員の能力が上がるでしょうか?

もしかすると今後指導者として選手を輩出するかもしれませんが、現在「できる」ことと「教える」力は等しくはないでしょう。

そんな彼らにそのスポーツを指導した、つまり「教えた」のは誰でしょうか?

本人の努力の傍で支えていた人たちが必ずいます。それが監督やコーチたちの存在です。果たしてこの監督やコーチたちは、教え子と同じ試合や大会に出て彼らの成績を上回ることができる人たちでしょうか?違いますよね。

「できる」ことと「教える」ことがまったく違う力が必要だと認識されているから、選手とコーチという協力関係が構築されているのです。

あなたは日本語のネイティブですが、日本語の発音の方法を説明できますか?おそらく勉強している人でない限り、たとえば「あ」「か」「さ」「た」「な」でさえ発音方法の違いを言葉で説明できないでしょう。

この観点が抜けていると、英語の発音もその辺の「ネイティブ」の人を捕まえれば上手くなる、という短絡的な考えになり、結果的に身に付かずに時間を浪費したあげく自信さえもなくすことになりかねません。

こういったことはそれを求める私たちが、過剰に「発音はネイティブに教わるものだ」という風潮に疑問を持たないことにも問題があります。

フィリピン人の先生たちは、英語の発音を学び、理解を伴って身につけてきた経験があります。ネイティブ環境の中で自然に身についたのではありません。

母国語の上に英語が乗っているのです。だからフィリピン人特有の英語の発音が現れるのですが、基本的にはアメリカ標準英語に近い発音ができるように教えられています。もちろん個人差はあります。それは日本人でも日本語の発音に個人差があるのと同様です。

何事も、「教えられて学んできた人」に習う方がわかりやすく体現しやすいのです。ネイティブの先生が在籍する学校で、「ネイティブティーチャーよりフィリピン人のティーチャーのほうがわかりやすい」と話す生徒さんも多いです。

ただ、モデルとするのであればネイティブは良い見本となるので、決して教わらないほうが良いわけではありません。

しかし、安易に「ネイティブ」という言葉に飛びつかず、「できる」ことと「教えることができる」ことはまったく別。そのことを念頭に置いて考えることがあなたの英語力アップの時短にもつながります。

Author: 畠尾 正行

留学カウンセラー兼、新聞やパンフレットの記事も書くライター。動画制作等の芸術分野の活動も行なう。